まちなか市場 限定販売

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黒豚 球兵衛(Samurai pork balls)とは?

 一見、タコ焼きに見えるでしょう。
 
 
qb-up しかし、タコは入っていません。
この球の中身は、黒豚のミンチと白菜なのです。 タコ焼きと餃子のコラボかい? 大分県の中部、玖珠郡玖珠町にて生産されている上野牧場の「上野黒豚」は その肉に、人工飼料特有のにおいやエグ味はありません。 上野黒豚の上質でさらりとした脂身と、そこに含まれるコラーゲンを、 新鮮な白菜に練り込んで作られたアンは、ここでしか味わえません。 口の中で、ゆっくりと噛みしめていくと、「じゅわ!」っと飛び出す、アレ。 「お口の中で、ひと暴れいたします」
qb-pack 12個入り 500円
お祭りやイベント会場などでの販売時は、
6個入り 300円も、ご用意致しております。





黒豚 球兵衛の歴史

ここから先はフィクションです


 時は、戦国の世

 九州は東部中域に南蛮諸国との交易で栄えた町があった。

 その地は、切支丹大名によって納められ、日本の中でも特異な文化を育んだ。


 南蛮商品を取り扱う商家であった「白銀屋」は、当主「白銀屋 喜慈郎」により
一代にして築き上げられ、それは他に類を見ないほど巨大なものであった。

 実際、町ゆく人の4人に一人は、白銀屋が飯を食わせていると言われていた。


 その白銀屋の当主、喜慈郎には、目に入れても痛くないほど可愛い一人娘が居た。

 喜慈郎を筆頭に、母や兄たちからの愛情を一身に受けて何も不自由することなく、
しかし礼節には厳しく育てられた娘であった。

 その娘の名は、「菜津」と呼ばれていた。


 白銀屋は、長兄である「喜茶衛門」が跡取りとして元服直後から父に従った。

 
 よって、菜津は、ただ元気であれば、と言う扱われ方をしていた。

 ゆくゆくは、城内要職の子息と夫婦になってくれれば良い、といった所だ。



 菜津は、自分の教務を担当している「黒島先生」の自宅へ、時折赴いては、
先生の畑の手伝いや、他の生徒との交流が大好きだった。

 黒島先生は、白銀屋に赴いて授業をする、言わば家庭教師だったが、
本当は、自宅に私塾を主宰しており、遠くは鹿児島・山口・広島あたりから、
聴講に訪れる生徒もある程だった。

 つまり、菜津にとっては、黒島先生の自宅を訪問する時だけが、
唯一、同世代の人間と接することが出来る、大切な時間だった。


 あるとき、菜津が、先生の白菜畑で、野菜に付く虫についての話を聞いていた時、
その聴講生の中で、一際、身体の大きな男の人がいることに気が付いた。

 つい一ヶ月ほど前に、黒島先生の塾に入門した生徒らしい。


黒豚 球兵衛(くろぶた きゅうべえ)

 出身・経歴など、一切がナゾの男
 ふらりと黒島先生の私塾にやってきて入門を請うた。

 大きな身体から、粗暴に感じられ、周囲からも誤解も多い。 

 しかし、博識で、その手からは繊細な作品が多く創り出される。
 農具・家屋の修理・遊び事、そしてあらゆる料理と幅広い。 

 球兵衛には、南蛮人と交流を深めて知りたいことがあった。

 ある料理の作り方らしいが、それが球兵衛の人生を.....
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白銀屋 菜津(しろがねや なつ)

 豊後の国で、南蛮商品を取り扱う商家の一人娘。
 大切に育てられた良家の娘だが、筋の通らない事が大キライ。

 冒険心はあるモノの、自分の立場を良く理解しており、
 ある一線を超えた言動にまでは至ったことがない。

 球兵衛に心を寄せるが、生きる道の違いに思い悩む。

 自分の出来ることを、そっと手伝う事で感情を抑えていた。
 ある日、球兵衛が、黒島塾の塾生の中で、ただ一人の外国人と 立ち話をしていた所に、菜津が通りがかる。  どうやら、何か道具の話らしい。  日頃から、菜津は、球兵衛の道具作りの妙技に感心していた。  お金で買えるモノは、何でも手に入る商家に娘にとって、 球兵衛の「無いものは作る」という姿勢が、とても新鮮だった。  菜津は、立ち話をする球兵衛らの話に聞き耳を立てる。  「マリのようなものか?」  「Mari? Ball? Fummm... Small 」  「小さいのか、じゃあ、この位か?」  球兵衛は、人差し指と親指を使って、手で丸を作った。  「Oh,it's So Ball Mari 」  なにやら、二人の間で、意見が一致したようだ。  すると、球兵衛が、突然、菜津に向かって、こう言った。  「菜津さん、鍛冶屋の知り合いは居ないかい?」  菜津は、突然話しかけられて、びっくりしてしまい、 その場から駆け出し逃げてしまった。  だが、この事がきっかけとなり、球兵衛と菜津の距離は、 心も身体も、ぐっと近くなったのだ。  そして、この立ち話が、数百年後の未来。  日本全国、どこにいっても目にする、アレになるとは、 この時の球兵衛と菜津の二人に、想像できる事ではなかった。
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 1990年7月  大分県中部を襲った集中豪雨は、多くの被害をもたらした。  土砂が家屋に流れ込むなど、その傷は深かった。  のち、復興が進む中、臼杵市のとあるの民家の蔵から、1つの箱が発見された。  中には、鉄で出来た 造作物と、油紙で保護された書面の様だった。  造作物はA4用紙くらいの鉄板に、釣り鐘のイボような出っ張りが並んでいる。  2枚ある鉄板は、同じ形をしており、裏返すと、その出っ張りは穴になっていた。  発見者等は、その大きさから「鬼の足踏みマッサージ器」だと言って笑った。  発見者は、興味を示さず、すぐに廃棄処分とした。  そして、この話は、ここで終わるかと思われたが.......。  20年後、2010年夏  史上最高値に迫る猛暑を記録した日々が続いていた。  廃虚マニアの藤野智久氏が、廃材の山から、お宝を探そうとあさっていた時の事だった。  偶然にも、彼の選択眼によって「鬼の足踏みマッサージ器」が日の目を見ることとなる。  藤野氏は、地権者に許可を得て、それを持ち帰り、友人に見せた。  移動販売で飲食店をやっている馬場雅治氏。  彼は、その鉄板と書面のナゾを解読してしまう。  鉄板を見た馬場氏は、「なんだ、これ、タコ焼き器?」と、一言。  もちろん、2010年の現代では、この形状の鉄板をみて、  「タコ焼き器」と述べることに異論は少ないと思う。  飲食店の馬場さんなら使う事もあるだろうと、藤野氏はそれを置いて帰った。  馬場氏の興味は、それよりも、同梱されていた油紙の包みだった。  油紙の包みをほどいていくと、なにやら書いてあった。  しかし、英文字と漢字が入り交じった書面は、解読出来るものではない。  だが、書面の中に、図が記されており、言わんとすることが判ってきた。  どうやら、小麦粉と鶏の卵を「なにか」で溶いて、鉄板の穴で焼くらしい。  「なにか」については、水と何かを煮て抽出した溶液と読み取れる。  現代、一般的には、カツオブシを煮出した出汁を使うが、そうではない様だ。  馬場氏は、この書面が作られたであろう1550年に存在した食材の調査を進め、  「なにか」に用いられた素材を追い求めた。  和食で使われる食材・アジアン・チャイナ・ヨーロッパ・アメリカ・メキシカン・・・・  様々な、素材を試し、球兵衛が生み出したモノに、可能な限り近づこうとしていた。  だが、本業もオロソカにできず、いつもの様に仕込みを始めた時だった。  「あ、まさか、これか?」  馬場氏の厨房に、いつものメニューを仕込むため、当たり前のように存在した素材。  「これだー」  そして、再度、発見された書面と照らし合わせ、再現を進めた。  2010年11月  馬場氏は、この食べ物に産みの親の名を冠した。  「黒豚 球兵衛」お客さん、たこ焼きじゃございませんよ  間もなく発売開始である。  かつて、球兵衛と菜津が夢見た料理が、数百年の眠りから蘇るのである。








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